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雅子さんとは渋谷にシネマライズがあった頃、ヴィンセント・ギャロ監督作品『ブラウン・バニー』(2003)の試写会で偶然お会いしました。夜の渋谷、シネマライズには試写会に並ぶ人の行列が出来ていました。近づいて行くとそこに佇む雅子さんとしっかり目が合ったのです。お互い初対面だったのですがほんの数秒しばらく目が合ったままでした。今もあの時の雅子さんの眼差しをふと思い出します。妖艶なあの眼差しを… ご主人である大岡さんがどのような思いを抱いて雅子さんというひとりの女性を描いたのか…苦しくも美しくせつない映画になっているのでしょうね…。わたくしごときをトークイベントにお呼び下さり感謝しております。

竹中直人
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キャリア30年、50歳で他界したモデル「雅子」の半生を追ったドキュメンタリー映画。

キャリア30年、50歳で他界したモデル「雅子」の半生を追ったドキュメンタリー映画。

2015年1月29日の夜明け前、モデル「雅子」は稀少がん闘病の末に旅立った。そのとき、夫である大岡大介は「夫婦として共に生きながら、モデルとしての雅子をほとんど知らないまま」だったことに気づく。「モデル・雅子」の半生を追い、映画にして伝えてゆくことを決意する。
自宅に積まれたままの「雅子」が登場した雑誌やビデオなどを片っ端から調べ、衝動のままに「雅子」を知る人々に、監督としてインタビューを重ねてゆく。
数多くの関係者の言葉から、生涯プロフェッショナルのモデルとして貫き通した姿勢と、どんな時代も「身の丈の美しさ」を追求し続けた、一人の女性としての「雅子」の輪郭があらためて浮かび上がる。
そのあり方はきっと、より健やかにより美しく生きようと志す、現代全ての女性たちへの贈り物になるだろう。

雅子プロフィール

雅子

雅子|出演

1964年7月30日、東京・日本橋に生まれる。
1984年、19歳のときデビュー。20代では「an an」「装苑」「流行通信」等、30代は「LEE」「クロワッサン」「ミセス」等、40代では「家庭画報」「美しいキモノ」「和樂」「エクラ」「GLOW」「大人のおしゃれ手帖」等に登場。ファッショングラビアだけでなく、趣向や生き方についてのインタビューやコラムにも取り組み続けた。
映像ではテレビCM「セイコー ティセ」(84年)を皮切りに多数出演。「日清ごんぶと」(95年)や「サントリー 膳」(01年)で強い印象を残した。映画『月の人 / フィガロ・ストーリー』(91年)で女優デビュー。『リング』(98年)で貞子の母・志津子を演じる。邦洋問わず年150本以上を鑑賞し続けた造詣の深さから、2012年東京国際映画祭 natural TIFF部門の審査員を務める。
時代の変遷の中で女性としての自然な生き方を追求し続けた。2014年、書籍「雅子 スタイル」(宝島社刊)を上梓した。
2015年1月29日、希少がん闘病の末に死去。享年50。

Director 監督

大岡大介|監督・プロデューサー

モデル「雅子」の夫。
本業である(株)TBSテレビでの番組制作の傍ら、本作品を製作する。
2000年〜2008年、同社映画事業部にて洋画『ハンニバル』(01年)『バイオハザード』(02年)等の共同出資事業、邦画『木更津キャッツアイ 日本シリーズ』(03年)『アフタースクール』(08年)などの製作事業に携わる。2015年、雅子の他界に際して本映画の製作を決意。

雅子を亡くした後、夫でありながら実は「モデルとしての雅子」をほとんど知らないことに私は気づきました。
家に残された数多くの雑誌やビデオをぼんやり見ながら、雅子の存在は、消費文化が爛熟する80年代を、女性の社会進出が一般化する90年代を、その空気感と共に伝えているのではないかと強く感じました。「女性の生き方」についての言論や情報がまだ現代ほどは溢れていない中、モデルという仕事を通じ、いかに職業人として生きるべきか、いかに身の丈で自然に生きるものかを、時代に先駆けて模索しながら生きてきた女性――それが雅子だったのではと。
雅子を忘れたくない。雅子という存在が忘れられてはならない。
夫としての妻への思いと、公に対して雅子を遺さねばならないという思いが、私の中でひとつになりました。その思いを、雅子が愛していた、「映画」という存在で形にするため、私は動き始めました。
それまでは、雅子の面影を思いながら見ていた雑誌やビデオが、映画の材料として分析し取っ組み合う相手となりました。そこに数多くの方々のインタビューを加え、全体を積み上げ、削り出し、3年を超える月日をかけて、私は今一度「雅子」という人間を立ち上げました。
彼女の生き方はきっと、時代を生きる女性たちのために、共に生きる男性たちのために、良きメッセージになるに違いないと確信しています。
『モデル 雅子 を追う旅』は、モデルという存在を通じて80年代から現代までを見通す映画であり、健やかさと美しさを身の丈ながらに追求した職業人の映画であり、雅子と彼女を取り巻く人々の間の愛を描く映画です。

Interviewee インタビュー出演者たち

安珠|写真家
安珠|写真家

東京出身。ジバンシーにスカウトされパリコレなど、国際的なモデルとして活躍後、1990年『サーカスの少年』を出版し写真家に転身。広告、雑誌連載、文筆や講演、多ジャンルの審査員、ビジュアルプランから映像監督まで幅広く活躍。雅子のモデルデビュー当時、プライベートで撮り続けた。2019年、安珠写真「Invisible Kyoto -Tokyo edition」ライカ GINZA SIX (GINZA SIX 5F /5月16日(木)~9月迄)開催。安珠写真展「Invisible Kyoto -目に見えぬ平安京-」美術館「えき」KYOTO(京都駅ビル内7F)6月8日(土)~6月30日(日) 。富山県ミュゼふくおかカメラ館で「ビューティフルトゥモロウ-少年少女の世界-」9月7日(土)~11月4日(月)開催。

田村翔子|モデル・女優
田村翔子|モデル・女優

7歳から15歳までベルギー、シンガポールで過ごす。大学在学中にモデルとしてスカウトされ1985年大手薬品メーカーの広告に起用される。国際感覚溢れるモデルとして脚光を浴びファッション誌のカバーやTV,CM、ドラマ、映画などマルチに活躍。
また一方でエッセイを執筆するなど仕事の幅を広げる。近年は自然派志向のライフスタイルが同世代の女性に支持されているほか、同種療法で名高いホメオパシーのライセンスを取得し、ホメオパスとしても精力的に活動している。

藤井かほり|女優・モデル
藤井かほり|女優・モデル

愛知県出身。アメリカ、長野、大分で育つ。多摩美術大学美術学部在学中の1986年、雑誌「ef」に読者モデルで登場したのをきっかけにスカウトされデビュー。数々のCMに出演する中で多くの映画監督や演出家の目にとまり、映画・テレビ・舞台など、多方面において活躍。主な雑誌の出演に「an an」 「InRed」「Domani」「Ku:nel(クウネル)」など。映画では『喪の仕事』(90年)、『東京フィスト』(95年)、『スワロウテイル』(96年)、『四月物語』(97)、『リンダ リンダ リンダ』(05年)、『メゾン・ド・ヒミコ』(同年)、『Lost & Found』(10年)などに出演。

髙嶋政宏|俳優
髙嶋政宏|俳優

1987年に映画『トットチャンネル』で俳優デビュー。同作及び映画『BU・SU』で、第11回日本アカデミー賞新人俳優賞ほか各賞を受賞。以降、テレビ・映画・舞台と幅広く活躍。近年の映画出演作に『信長協奏曲』『金メダル男』(16年)、『本能寺ホテル』『HiGH&LOW THE MOVIE2・3』『花筐/HANAGATAMI 』『未成年だけどコドモじゃない』(17年)、『マスカレード・ホテル』『キングダム』 『空母いぶき』(19年)など、さらに活動の幅を広げ、バラエティー番組に多数出演しており、昨年から音楽番組のMCにも挑戦している。

中田秀夫|映画監督
中田秀夫|映画監督

1961年、岡山県出身。東京大学卒業後、日活撮影所に入社。助監督として経験を積み、92年、TVドラマ「本当にあった怖い話」シリーズを演出。96年に『女優霊』で 映画監督デビューを果たし、『リング』(98年)、『リング2』(99年)で日本映画界にホラーブームを巻き起こす。 その後ハリウッドで『ザ・リング2』(05年)を監督。以降も国内外で活躍。近年の作品では『クロユリ団地』(13年)、『MONSTERZモンスターズ』(14年)、『劇場霊』(15年)、『終わった人』(18年)、『スマホを落としただけなのに』(18年)、『貞子』(19年)などがある。

石井たまよ|モデル
石井たまよ|モデル

埼玉県出身、モデル。主な雑誌の出演は「和樂」「大人のおしゃれ手帖」「MyAge」「クウネル」「STORY」「家庭画報」「婦人画報」「ミセス」「HERS」「美しいキモノ」など。CMではSONY「ハンディカム」、TOYOTA「マーク X ジオ」、大塚製薬「スゴイダイズ」などに出演。現在、サントリーウエルネス「F.A.G.E」やシュワルツコフヘンケル「パオンゴールド」に起用されている。

竹中直人|俳優・映画監督
竹中直人|俳優・映画監督

1956年、神奈川県出身。劇団青年座に入団後、「ザ・テレビ演芸」(EX)でコメディアンとしてデビュー。その後、映画『無能の人』(91年)で初監督を務め、『サヨナラCOLOR』(05年)を含め、これまでに7作を監督。日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を『シコふんじゃった。』(91年)、『EAST MEETS WEST』(95年)、『Shall we ダンス?』(96年)の3作品で受賞するなど、受賞歴も多数。その他の多数の映画に出演。最近では『サムライマラソン』(19年)、『翔んで埼玉』、『麻雀放浪記2020』(同年)に出演。また、音楽、文筆、絵画などの多分野で才能を発揮し続けている。